最近思うことつらつら

突発性難聴だかメニエル病だか、やっかいな病気にかかったせいで最近ちょっといらいら気味な私です。薬が効いているのかだいぶ緩和されてきたのですが、繰り返す耳鳴り、まったく困った物です。
発症してからすぐに医者にかかったので大丈夫みたいですが、結構やばい病気みたいですね。音楽に関わってるのにあーまいったまいった。

まいったまいったでちょっと長い話をします。もしかしたら不快に思う人もいるかもしれませんが、なんとなく書きたくなってしまったことなので不快に思ったとしても大人な対応をよろしくお願いします。


民主主義って言う考え方ありますでしょ、例えば多数決。これって、恐ろしい事態を引き起こす可能性を含んでいる考え方だと思うのですよね。でも、日本は民主主義国家。多数は正義の国なのです。
ありえない話かもしれないし、もしかしたら実際に起こっているのかもしれませんが、ある重大な欠陥を含んだ法案を採決するときに、投票する人が500人いたとして1人だけその法案を通してしまうと大変なことになってしまうことに気がついていたとする。そんな場合でも残りの499人が賛成してしまえばその欠陥法案は通ってしまうわけ。たとえ、499人が洗脳され、コントロールされて投票していたとしても…
何が言いたいかというとマスコミの怖さ、マスコミの危険性のことなんですよ。
現在インターネット、テレビ、ラジオなどでいろいろな情報が流されています。もし、それらメディアが強大な力によって掌握され、間違った情報を流し続けるようなことになったらどうでしょう。とても恐ろしいことが起きてしまうのではと思いませんか?本当に恐ろしいことですよ、これは。
もし、マスコミが大衆を扇動し戦争をするようにし向けるような番組を放送するようなことがあったらと思うととてつもない恐怖を覚えるのですよ。大衆の力というのはとても恐ろしい。そういうことがあってはならないと思うし、そのようなことにならないことを祈りますが、ありえない話ではないので余計に恐ろしいのです。こんなことを最近考えちゃっていました。


考えていたと言うことでついでにもう一つ。


私は連帯責任という考え方が嫌いです。不祥事を起こした本人以外に連帯責任と称して仲間も罰せられる、もしくは責任を追及される、このような考え方に賛同できません。
例えば会社の例にたとると、会社の中で、たった一人の社員が不祥事を起こし、そのせいで大変なことになったとします。すると、大抵、社長、上司等が一緒に責任を取らされることが当たり前のようになっています。直接関わったわけではないのになぜ責任を取らされるのでしょう。
こういった場合、不祥事を起こした本人、もしくはその関わった周辺だけが罰せられれば済む話であって上の人には何の関係ないはずです。特に大会社では不祥事を起こした社員と部署が違ってなんの関係もなかったり、面識さえなかったりすることがあるかもしれません。なのに、下の者がやったことは上の者の責任だということが常識化されて責任を追及されています。上の者にとってはたまったもんじゃないですよね。だれだ、そいつは、何でそいつのために、と。
もちろん関係が全くないわけではないでしょう、同じ会社なわけですから。ですが、不祥事を起こした人よりも上司の方が責任を追求されるのがこの世界の常識。あんまりじゃないですか。
悪いことをしたのはその本人の問題でしょう。その人がちゃんとしていれば不祥事は起きなかったわけで上の人がしっかりしていようがいまいが関係ない話だと思うのです。不祥事が起きないように管理するのが上司の仕事、と世間は言いますが、社長が社員すべてに関われるわけないでしょう。つまり、社長は何の関係もないのに責任を取らされてしまう。そんな理由がわからないのです。
会社に例えてしまったので「そんな簡単な問題じゃないんだ」という反論も出てくるかと思いますので、もっと簡単な例を出しますと、掃除をさぼったやつのせいで同じ班の人がもう一日掃除させられるという本当にくだらないよくある連帯責任の例だとどうでしょう。さぼった人はもちろんせめられますが、掃除の班長もどうしてさぼっているのを注意しなかったんだとしかられると思います。そんなことを言っても班長の掃除しているところとさぼった人の掃除場所は離れていてわからなかった、注意しようがなかった。班長だって自分の掃除場所で手一杯なはずです。各個人の責任を信じて掃除をするわけですよ。そんな場合班長に責任があるのでしょうか。
まぁ、私の考え方の概論はわかって頂けたと思います。そんなことを考えていたわけですよ。くだらない戯れ言と、スルーしてやってください。


とりあえず今日はこの辺で。